豊後国分寺ぶんごこくぶんじ
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豊後国分寺は現在も天台宗の医王山国分寺として存続、周囲は史跡公園として整備され「大分歴史資料館」が併設されている。
豊後国分寺は中門、金堂、講堂、食堂が南北に連なり、中門と金堂が回廊で結ばれる。この回廊の中、西側に七重塔が建っていた。現在の国分寺本堂が金堂、観音堂が塔跡に建っている。
室町時代には豊後一ノ宮の柞原八幡宮の末寺の1つとなっていた。伝承に寄れば天正14年(1586年)島津家久の府内焼き打ちによってこの国分寺も焼失、現在の国分寺は江戸時代に再興されたものである。