豊後国分寺ぶんごこくぶんじ

城郭放浪記


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豊後国分寺の写真
文化財指定
国指定史跡
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説 明

豊後国分寺は現在も天台宗の医王山国分寺として存続、周囲は史跡公園として整備され「大分歴史資料館」が併設されている。

豊後国分寺は中門、金堂、講堂、食堂が南北に連なり、中門と金堂が回廊で結ばれる。この回廊の中、西側に七重塔が建っていた。現在の国分寺本堂が金堂、観音堂が塔跡に建っている。

室町時代には豊後一ノ宮の柞原八幡宮の末寺の1つとなっていた。伝承に寄れば天正14年(1586年)島津家久の府内焼き打ちによってこの国分寺も焼失、現在の国分寺は江戸時代に再興されたものである。

豊後国分寺の写真
4:復元想定図
豊後国分寺の写真
7:食堂跡
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9:講堂跡
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24:塔跡
所在地/地図
大分県大分市大字国分
関連史跡(直線距離)
4.8km 一宮・西寒多神社
4.8km 一宮・柞原八幡宮
5.8km 豊後国府
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