山中鹿介胴墓やまなかしかのすけどうはか

城郭放浪記


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山中鹿介胴墓の写真
掲載写真数
種類
墓碑
文化財指定
なし/不明
説 明

山中鹿之介(鹿介)は出雲国の大名尼子家の旧臣で、毛利によって主家が滅亡した後、京都で僧となっていた尼子勝久を担ぎ再興軍を起こした。織田信長などの支援を受けて毛利に対抗したが、天正6年(1578年)播磨国上月城に籠城するも毛利軍に攻め落とされ、尼子勝久は自刃、鹿之介は捕らえられ毛利輝元のいる松山城へ護送される途中、阿井の渡しで暗殺された。

『山中鹿介胴墓』は「たいおうの丘ホスピタル」の近くにある。鹿之介の首は毛利輝元の元に送られ、その遺骸は観泉寺の和尚によって「石田畑」に葬られていたが、それを再度掘り起こして布片に包み瓶に収めて埋葬、墓碑を建立したものがこの『山中鹿介胴墓』である。近くには山中鹿介の墓がある。

案 内
最寄り駅(直線距離)
3.2km 備中広瀬駅
3.3km 備中高梁駅
5.9km 木野山駅
7.8km 備中川面駅
9.4km 美袋駅
所在地/地図
岡山県高梁市落合町阿部
付近の史跡(直線距離)
1.4km 山中鹿介の墓
3.2km 山崎家墓所(桂巖寺)
3.9km 天柱山 頼久寺
3.9km 水谷公廟所(定林寺)
4.0km 成羽藩勘定所遺構
5.2km 三村家親・元親の墓(源樹寺)
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