山中鹿介の墓やまなかしかのすけのはか

城郭放浪記


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山中鹿介の墓の写真
掲載写真数
種類
墓碑
文化財指定
市指定史跡
説 明

山中鹿之介(鹿介)は出雲国の大名尼子家の旧臣で、毛利によって主家が滅亡した後、京都で僧となっていた尼子勝久を担ぎ再興軍を起こした。織田信長などの支援を受けて毛利に対抗したが、天正6年(1578年)播磨国上月城に籠城するも毛利軍に攻め落とされ、尼子勝久は自刃、鹿之介は捕らえられ毛利輝元のいる松山城へ護送される途中、阿井の渡しで暗殺された。

『山中鹿介の墓』は正徳3年(1713年)に備中松山藩石川氏の家臣前田時棟と足軽の佐々木軍六によって建立された墓碑である。鹿之介が討ち取られた場所には榎を植えて目印としてたが、洪水によって流失したという。

近くには山中鹿介胴墓があり、首塚は広島の鞆にある。

山中鹿介の墓の写真
4:山中鹿介の墓
山中鹿介の墓の写真
3:案内板
案 内
最寄り駅(直線距離)
2.0km 備中高梁駅
2.5km 備中広瀬駅
5.3km 木野山駅
7.8km 備中川面駅
8.4km 美袋駅
所在地/地図
岡山県高梁市落合町阿部5-1
付近の史跡(直線距離)
1.4km 山中鹿介胴墓
2.5km 水谷公廟所(定林寺)
2.7km 天柱山 頼久寺
4.7km 山崎家墓所(桂巖寺)
5.4km 成羽藩勘定所遺構
6.6km 三村家親・元親の墓(源樹寺)
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