播磨 上月城はりま こうづきじょう

城郭放浪記


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播磨 上月城の写真
掲載写真数
形態
山城(190m/110m)
別 名
なし
文化財指定
なし/不明
遺 構
土塁,郭,堀
城 主
上月氏、尼子勝久
歴 史

築城年代は定かではないが、鎌倉時代末期に上月景盛が大平山に上月城を築いたのが始まりとされる。上月氏は赤松氏の庶流で四代続いたが、嘉吉の乱によって滅亡した。

天正5年(1577年)織田信長の部将羽柴秀吉が福原城を攻略して上月城を攻めた。上月城は赤松政範が籠もり宇喜多直家が救援に駆けつけたが、高倉山に本陣を構えていた羽柴秀吉によって上月城は落城し、政範は自刃して果てた。

尼子勝久を担いで尼子家再興を願う山中鹿之介は織田信長に与し、この上月城を守ったが、天正6年(1578年)毛利の大軍によって落城し、尼子勝久は自刃、山中鹿之介は捕らえられて毛利の本陣へ護送される途中に討たれた。

説 明

上月城は標高190m程の荒神山に築かれている。現在は麓に資料館、そこから遊歩道が整備されており見学し易い山城となっている。

天正年間(1573年〜1592年)に毛利と織田の軍勢が争奪を繰り広げた城であるが、現在の遺構からはそれほど堅固な城塞という感じではない。

主郭は山頂東端部にあり周囲に帯曲輪と腰曲輪を設けている。北東へ伸びた尾根には堀切が一条、その先に小さな平段が確認できる。一方西へは尾根の先に二郭があり、西端の部分は堀切で遮断する。この堀切は北西側に長大な竪堀として伸び、その途中から北西側を遮断する堀切と竪堀が伸びている。

案 内

北麓に上月歴史資料館があり駐車場になっている。資料館の中には付近の城の縄張図入りの説明板が多数展示されており必見。この資料館の前から遊歩道がある。

最寄り駅(直線距離)
0.9km 上月駅
2.5km 久崎駅
4.3km 佐用駅
5.9km 播磨徳久駅
6.3km 美作土居駅
所在地/地図
兵庫県佐用郡佐用町上月
付近の城(直線距離)
0.7km 播磨 大平山城
0.8km 播磨 円光寺山城
0.8km 播磨 仁位山城
1.3km 播磨 円光寺砦
1.7km 播磨 早瀬城
1.9km 播磨 浅瀬山城
2.0km 播磨 目高の築地(北砦)
2.1km 播磨 目高の築地(南砦)
2.1km 播磨 飯野山城
2.9km 播磨 櫛田城
2.9km 播磨 高倉山城
3.4km 播磨 福原城
4.4km 播磨 鳶ノ巣砦
4.6km 播磨 比丘尼砦(佐用町)
4.6km 播磨 猿喰城
4.6km 播磨 福岡城
5.0km 播磨 中島城
5.2km 播磨 大日山城
5.2km 播磨 広岡城
5.5km 播磨 米田城
5.8km 播磨 多賀城
6.1km 播磨 百々蔵城
6.1km 美作 福城
6.2km 播磨 佐倉山城
最終訪問日
2015年3月
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