田村清顕の墓たむらきよあきのはか
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田村清顕は陸奥国三春城主で、伊達政宗の正室となった愛姫の父である。 天正14年(1586年)に没した後は田村家の跡を巡って伊達派と相馬派に分かれて争われた。
田村清顕の墓は国道113号線の南側、片倉家廟や片倉喜多子の墓の近くにある。 清顕の墓の脇には田村定広の妻となった真田幸村の娘阿菖蒲の墓と幸村の墓がある。