熊本城主であった加藤清正の廟が本妙寺にある浄池廟である。加藤清正は慶長16年(1611年)に熊本城で亡くなり、現在の本妙寺境内に葬られた。
浄池廟の脇には清正に殉じて亡くなった大木土佐守兼能の墓や、文禄の役で朝鮮から日本にきて清正の近習となり、清正の七回忌で殉死した金宦の墓がある。
熊本藩加藤家は寛永9年(1632年)加藤忠広のときに改易となり、庄内藩酒井家にお預けとなった。このとき忠広は加藤清正の遺骨を持ち出して天澤寺に墓碑を建立している。これが出羽丸岡城近くの天澤寺に残る加藤清正の墓である。