加藤清正側室本覚院の墓(本覚院)ほんがくいんのはか
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本覚院殿は熊本城主加藤清正の側室で清正の次男忠正の生母である。菊池武宗の娘と伝えられるが確証はない。清正の長男虎熊は文禄の役のさなかに早世したため、忠正が世子として江戸屋敷に人質として住んだが、慶長12年(1607年)わずか九歳で没した。本覚院は川尻殿と呼ばれていたが、寛永3年(1626年)に没した。
本覚院殿の墓は本覚院の山門を潜ってすぐの所にあり、大きな五輪塔が廟の中に祀られている。