串木野氏の墓くしきのしのはか
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串木野氏は鎌倉時代に薩摩郡司本地頭平忠直の子三郎忠道が祖となり、以降忠行、忠秀、平次郎、忠秋と串木野城主として五代続くが、島津貞久によって串木野を追われ滅亡した。
案内板によれば、串木野氏の墓は大堂庵の墓地に明治頃まで五輪塔があったが、第二次世界大戦の頃には見あたらなくなり、その後、墓地や畑の石垣の間に五輪塔の一部が発見された。現在ある一基の五輪塔はこれらを寄せ集めて造られたものだという。