築城年代は定かではない。南北朝時代に佐川四郎左衛門が南朝方として籠もっていた。
戦国時代には中村越前守信義が城主であったが、元亀2年(1571年)に長宗我部元親に降り、元親は重臣久武内蔵助を城主にしたという。しかし水の便が悪かったことから、佐川城を築いて居城を移したと云われる。
松尾城は佐川駅の北東に聳える標高202mの山に築かれている。
主郭部は山頂と南西峰にある二郭を中心としており、そこから南東、北、南西の各尾根に曲輪を展開している。
主郭は山頂で東側に高い塚状の土壇が残るが概ね平坦な曲輪である。南西の峰にある二郭も同じく土塁などはなく平坦な曲輪であるが、西から南側面にかけてビッシリと畝状竪堀を設けている。
主郭から北へ続く尾根は連続堀切と小さな曲輪群が交互にと点在している。一方南東尾根は大小12条もの連続堀切を設けてあり、非常に厳重に遮断しているにもかかわらず、その先端にも曲輪がある。このように尋常ではない数の堀切を設けているにもかかわらず、その先に曲輪を設ける例は姫野々城などにも見ることができる。
登山道入口は南西麓にある松尾八幡宮の所で入口に案内板が設置されている(地図)。周囲に駐車場はない。
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