詳細不明。城主は平野加賀守正直、のち北添氏という。
幕末の志士北添佶摩はこの岩目地村の庄屋の子として誕生しており、生家もあるようだ。後の城主北添氏が土着して庄屋となったのだろうか。
平野城は東西に長く伸びた比高30m程の丘陵に築かれている。
主郭は東端最高所で円形に近く周囲を高い切岸が取り巻く。北側に小さな社(城八幡?)が祀られており参道が北側にある。主郭の南側面には高いコブの付いた畝状竪堀群があり、中央にl字の土塁がついた虎口がある。主郭の西側には空堀を挟んで曲輪iiとiiiの平地が拡がっているが、後世の改変が大きいようで、北側側面は特に切岸がなくなっている。ただ、西端部分には土塁らしき地形と切岸が確認でき、この部分は曲輪であったと思われる。また西に続く尾根先部分は畑や墓地となった地形が拡がっている。
山の北側の車道から山に入る道があるが駐車スペースはない。
最寄り駅(直線距離)