|
|
写真館(158枚)
- 史跡指定
-
国指定史跡
- 別名
-
大高坂山城
- 形態
-
平山城
- 説明
-
もともとは南北朝時代に大高坂城があった。
関ヶ原合戦後に土佐一国の領主となった山内一豊ははじめ長宗我部氏の浦戸城に入ったが城地が南に偏り城下町を形成するのに不都合であったため慶長6年(1601年)築城に着手した。
一豊入城に際して大高坂山は高智山と改められその後高知と改められる。
享保12年(1727年)に火災のため追手門など僅かな建物を除き大半を焼失した。享保14年(1729年)より再建をはじめ宝暦3年(1753年)にようやくもとの姿に戻った。
明治維新により本丸と追手門を除く建物を破却したが本丸の建物が完存する唯一の城である。
約1年半ぶりに訪れてみたが大河ドラマ「功名が辻」の影響だろうか早朝から人が多かった。
現在三の丸の石垣が崩され工事中であった。
- 城主
-
山内一豊,山内忠義,山内忠豊,山内豊昌,山内豊房,山内豊隆,山内豊常,山内豊敷,山内豊雍,山内豊策,山内豊興,山内豊資,山内豊熈,山内豊惇,山内豊信,山内豊範
- 所在地
-
高知県高知市丸の内1
-
- 最終訪問日
-
2006年1月
- 縄張図
-
現地案内板より
- 建物
-
| 天守(現存 天守)
所在地:
城内本丸 慶長8年(1603年)建立、享保12年(1727年)火災により焼失
寛延元年(1748年)再建
四重六階 望楼型
国指定重要文化財
天守台がなく本丸石垣の上に築かれている
|
| 東多聞(現存 多聞櫓)
所在地:
城内本丸 慶長8年(1603年)建立、享保12年(1727年)火災により焼失
享和年間(1801年〜1804年)再建
一重一階
国指定重要文化財
|
| 西多聞(現存 多聞櫓)
所在地:
城内本丸 慶長8年(1603年)建立、享保12年(1727年)火災により焼失
18世紀中期再建
一重一階
国指定重要文化財
|
| 追手門(現存 櫓門)
所在地:
城内大手 慶長8年(1603年)建立
国指定重要文化財
|
| 黒鉄門(現存 櫓門)
所在地:
城内本丸 慶長8年(1603年)建立、享保12年(1727年)火災により焼失
享保15年(1730年)再建
国指定重要文化財
|
| 廊下門(現存 櫓門)
所在地:
城内本丸 慶長8年(1603年)建立、享保12年(1727年)火災により焼失
享和年間(1801年〜1804年)
一重一階
国指定重要文化財
詰門と繋がっている
|
| 懐徳館(現存 御殿)
所在地:
城内本丸 慶長8年(1603年)建立、享保12年(1727年)火災により焼失
寛延元年(1748年)再建
国指定重要文化財
武者隠しなどを備える
|
| 納戸蔵(現存 御殿)
所在地:
城内本丸 慶長8年(1603年)建立、享保12年(1727年)火災により焼失
享延元年(1748年)再建
平櫓
国指定重要文化財
内部は懐徳館と繋がり御殿となっている
|
| 詰門(現存 橋)
所在地:
城内本丸 慶長8年(1603年)建立、享保12年(1727年)火災により焼失
享和2年(1802年)再建
二重二階
国指定重要文化財
現存唯一の廊下橋で一階が門、二階は廊下橋と詰所となっている
|
|