陸奥 豊川館むつ とよかわだて
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築城年代は定かではない。館主は豊川氏で、『慶長館持支配帳』に「豊川館 二百石 豊川又左衛門」とある。また『三戸通神社仏閣地名書上帳』では豊川右衛門と記されている。
豊川館は熊原川南岸の台地の上に築かれていた。 豊川館は本館、大館、小館、馬場館、堀館、向館、楢館の七つの曲輪の総称である。
本館は道路の北側にある川向中央集会所の奥で稲荷神社が祀ってある。かつて南側には大きな堀が巡らされていたという。本館以外の曲輪群は道路の南側にあり、付近を少し歩いてみたが、それらしい地形が随所に残されている。