建久3年(1192年)南部光行によって築かれたと云われる。 文治5年(1189年)南部氏は奥州平泉の藤原氏討伐の戦功によって源頼朝より糠部の地を賜った。南部光行は八戸浦を経て入国し、当初は相内館を築いて居たが、手狭となったためすぐに平良ヶ崎城を築いて移ったという。
その後、南部氏の居館は西にある聖寿寺館に置かれ、ここはには政庁が置かれた。
平良ヶ崎城は馬淵川北岸にあり、南へ伸びた台地の南端に築かれている。 かつてはここには南部中学校があったようで、そのときに整地されたようである。 北側には東西に道路が走っており、これが堀跡である。
県道233号線沿いに旧南部中学校へ登っていく道がある。この道を登った所に案内板が建っている。
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