築城年代は定かではない。館主は工藤氏と伝えられる。
工藤氏は工藤祐経の長男犬房丸(工藤祐時)の伝説や工藤小次郎行光の弟祐光による築城などの伝承があるが、詳らかではない。
天文8年(1539年)三戸南部氏の居城聖寿寺館に放火した南部晴政の家臣赤沼備中がこの五日市城主であったとも伝えられるが定かではない。
いずれにせよ規模の大きな城館であるにも関わらず『三戸館持支配帳』にも記載されていない、謎多き城館である。
下名久井館は熊原川支流の如来堂川が南から西を流れる台地の上に築かれている。 大館、外館、仁良館、和館、東館、絵館、古館の七つの曲輪群を総称したもので五日市城とも呼ばれている。
主郭は台地の南西端にある大館でここには館神が祀られているようである。八坂神社の所に案内板があり、大館、外舘、仁良館、古館、和館はそれぞれ標柱が建っている。東館と絵館には訪れていない。