築城年代は定かではない。城主は松本右馬允と伝わる。松本氏は船岡館を居城とした葦名氏四天王の筆頭松本氏の一族である。
松本右馬允は史料により二人確認されている。 宝徳年間(1449年〜1452年)の松本右馬允は宝徳3年(1451年)尾山館主多々良伊賀を襲い、享徳2年(1453年)葦名盛詮の家臣松本筑前が允殿館を攻め、右馬允は一時日光に逃亡した後、浜崎館で自刃した。もう一人は明徳7年(1498年)葦名盛高に叛いて誅されたという。
城があった場所には現在、館薬師堂や蒲生秀行廟が建っている。周囲より一段高い地形となっているが明瞭な遺構は残っていない。