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写真館(116枚)
- 史跡指定
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国指定史跡
- 別名
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鶴ヶ城,黒川城
- 形態
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平城
- 歴史
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至徳元年・元中元年(1384年)蘆名直盛によって築かれたと云われる。
蘆名氏は源頼朝の家臣三浦氏の一族で三浦郡蘆名の地から蘆名を称した。
文治5年(1189年)藤原泰衡の討伐に功があり恩賞として会津を得た。蘆名氏は天正17年(1589年)20代義広の時、伊達政宗によって会津の地を追われた。
会津を得た伊達氏であったが小田原合戦が終ると豊臣秀吉によって会津の地は蒲生氏郷が所領する事となった。
文禄元年(1592年)氏郷は黒川城を大改修するとともに黒川の地を若松と改名し城を鶴ヶ城とした。
氏郷が京都で病没すると秀行が継いだがまだ幼く奥州の抑えとしては都合が悪いとして慶長3年(1598年)下野国宇都宮に移封となり替わって越後国春日山から上杉景勝が入封する。
しかし上杉氏は関ヶ原合戦で西軍に組みしたことで出羽国米沢に移封となり再び蒲生秀行が入封したが寛永4年(1627年)秀行の子忠郷が病没すると嫡子なく蒲生家は断絶となった。
替わって伊予国松山から加藤嘉明が四十万石で入封するものの2代明成の時、お家騒動で領地を返上、石見国吉永に一万石に減封となった。
最後に出羽国山形から保科正之が二十三万石で入封し3代正容の時、松平姓に改姓し明治まで続いた。
幕末の戊辰戦争では燃え盛る城下町を見て鶴ヶ城が落城したと勘違いし自刃して果てた少年兵の白虎隊が有名である。
- 城主
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- 所在地
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福島県会津若松市追手町(鶴ヶ城公園)
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- 最終訪問日
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2009年4月
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