享保12年(1727年)に江戸幕府によって築かれた。 享保11年(1726年)津山藩主松平浅五郎がわずか十六歳にて没した。津山藩松平家は徳川家康の二男結城秀康を祖とする家柄であったため、先代の松平宣富の弟で白河新田藩主松平知清の三男の長煕を養子に迎えて存続が認められた。しかし家禄は十万石から五万石へと減封となった。この減封となった五万石は天領となり、これを管轄するために津山藩の蔵屋敷に築かれたのが久世陣屋である。
「久世陣屋写図」によれば、御殿や長屋などが配置されていたという。 文政元年(1818年)津山藩主松平斉孝の養子となった徳川十一代将軍家斉の子の斉民が津山藩の家督を継いだため、津山藩の家禄は十万石に戻り陣屋は廃された。
久世陣屋は久世駅の南にある重願寺の南側一帯に築かれていたという。 現在は名代官早川八郎左衛門正紀を讃える銅像が建てられており、その中に陣屋の案内板が設置されている。重願寺の山門は代官の門を移築したものと伝えられる。
陣屋門(移築 城門)