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鹿足郡津和野町
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(133枚)
史跡指定
国指定史跡
別名
三本松城
形態
山城(367m/212m)
歴史
永仁3年(1295年)吉見頼行によって築かれた。 鎌倉幕府は2度の元寇の後これに備える為、吉見頼行に対して石見西部の海岸線の防備を命じた。 これを受けて頼行が居城としたのが津和野城である。 天文20年(1551年)周防国大内義隆が家臣陶晴賢によって滅ぼされると義隆の姉を妻としていた吉見正頼は晴賢と対立し晴賢によって攻められた。 正頼は籠城して良く守り安芸国毛利氏が反陶氏を明確にすると陶氏と吉見氏は和睦となった。
晴賢が毛利氏に破れ自刃すると毛利氏の周防国・長門国掃討戦に加わり後は毛利氏に属したが関ヶ原合戦後毛利氏が防長2ヶ国に減封となると吉見氏も毛利氏に従って長門国
萩
に去った。
その後は関ヶ原合戦で戦功のあった坂崎直盛が二万四万石で入城し近世城郭として大改装した。 大坂の役で千姫を救出した功として一万石の加増を受けた直盛だったが千姫に嫁ぐことを拒否され強奪を企てようとしたいわゆる千姫事件によって元和2年(1616年)自刃した。
変わって
因幡・鹿野城
から亀井政矩が四万三千石で入封、以後明治に至る。
説明
城は津和野川の西にそびえる山の山頂に石垣造りの本丸、二の丸、三の丸などを配置し二の丸にある天守台には天守があったが延宝4年の地震で倒壊した。
北にある出丸は織部丸とも呼ばれこれは出丸築城を指揮した浮田織部からとったものだ。
近世城郭ではあるが南門から更に南に降りて行くと中世の南出丸などが残っており土塁の残る曲輪、三条の堀切そして畝状竪堀(これは確認できなかった)が残っている。
城山と津和野川の間にある平地部には津和野藩の藩庁があり大部分は津和野高校のグラウンドとなっているが庭園部分が嘉楽園として残っており物見櫓と馬場先櫓が現存している。
殿町に行くと藩校であった養老館、家老多古家の門、家老大岡家の門などがあり城下町としての魅力が今尚残っている。
城主
吉見氏,坂崎直盛,亀井氏
所在地
島根県鹿足郡津和野町大字後田(城山)
地図
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※距離はおおよその直線距離です。
海・川・山などの地形および交通手段は全く考慮していません。
最終訪問日
2006年4月
縄張図
現地案内板より
建物
馬場先櫓(現存 櫓)
所在地:
[地図]
島根県鹿足郡津和野町後田
南西に馬場があったためこの名が付いた隅櫓
県指定文化財
物見櫓(移築 櫓)
所在地:
[地図]
嘉楽園
藩主が祭礼などの催し物を見物するときに利用した御物見櫓
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