築城年代は定かではないが鎌倉時代末期に三隅兼連によって築かれたと云われる。 三隅氏最初の居城といわれる。
南北朝時代に三隅氏は南朝方としていち早く後醍醐天皇のもとに馳せ参じ、建部3年・延元元年(1336年)河内城にて軍備を整え、兼連の長男三隅兼知を将として北朝方の益田へうってでた地として知られる。
その後は三隅城の南を固める出城となり、一族の三浦氏の居城となった。
現在は河内城山公園として整備され草がきれいに苅られており、主郭跡には天守の模型が置かれている。
城は三隅川の東岸の独立した山に築かれており、頂部に主郭を置き、南へ二の丸、三の丸を配し、北へ馬場が延びて尾根先に堀切が残る。
県道48号線と三隅川に架かる河内橋の交差点の所に案内板が建つ。 橋を渡った所にある神社にも案内板があり、そこに公園への遊歩道がある。
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