築城年代は定かではないが興国年間(1340年〜1346年)に三隅兼春によって築かれたと云われる。兼春は三隅氏四代三隅兼連の子で北西にある鷹泊城(黒沢城)主も兼ねていた。三隅与一と讃えられる程に弓術に優れた人物であったという。
木束城は旧弥栄小学校のあった南へ伸びた丘陵に築かれている。 丘陵の北三分の二ほどが小学校跡となっており、ここも城域であったとも考えられているがその確証はなく、現状の遺構は丘陵の南端にのみ残されている。
小学校のグラウンドの南端に三隅兼春の墓と伝えられる宝篋印塔が残る。そのすぐ南に堀切があり、そこから南側が城跡として残っている。この堀切に面して土塁の付いた曲輪があり、内部は低い段差がある。その南側に大きく下がって小さく東西二段になった曲輪がある。
現在残る南端部分だけでも十分館城としての機能は備えているようである。北西にある鷹泊城(黒沢城)も兼春の城ということで、この城が詰城であったとも考えられるが、遺構を確認していないのでどの程度の城であったかはわからない。
県道34号線と県道179号線との交差点の北西にある丘陵が城跡で、旧小学校の校庭まで車で行くとこができる。そのままグラウンドを南へ歩いて行けば兼春公の墓がある。
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