元徳3年・元弘元年(1331年)雲林院祐高によって築かれたと云われる。 雲林院は長野城主二代長野祐藤の子祐高(祐尊)が雲林院氏を名乗ったことに始まる。
雲林院氏は長野氏一族としてその中核にあって代々続いたが、永禄年間(1558年〜1570年)に長野氏は織田信長に降って弟信包を養子として迎えて家督を継いだ為、雲林院氏も織田氏の配下となった。 天正8年(1580年)長野(織田)信包は雲林院氏を追い払おうと老臣野呂民部少輔を謀殺し、雲林院出羽守父子は伊勢を追い出され廃城となった。
雲林院城は安濃川の南岸にあり、安濃川に面した丘陵の頂部に築かれている。
林光寺の南にある尾根筋が大手で、そこから西の本丸へと続いている。南の谷を風呂の谷といい城郭遺構はこの谷を囲むように本丸から南の尾根、そして東へと伸びている。
大手は二段の削平地があって南側に土塁が残り、虎口を設けている。しばらく自然地形が続いた後、尾根の片側を竪堀状に切り崩して尾根道を狭めた遺構があり、そこから段々に削平された小曲輪が続いて堀切に至る。その上に主郭があってここに案内板が建っていた。
南の尾根に行こうと思ったのだが、主郭からは薮が深く、一度戻って斜面を移動したのだが、尾根は全体的に薮が深く、まだ14時すぎなのに陽が傾いていて時間が足りず散策できていない。
林光寺の南の墓地の脇から山上に道が通じている。
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