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写真館(30枚)
- 史跡指定
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県指定史跡
- 別名
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粉蝶城
- 形態
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平山城
- 説明
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文永元年(1264年)関実忠によって築かれた。
築城以来関氏の本城として続いたが元亀4年(1573年)関盛信が長島一向一揆に荷担したため織田信長によって追放された。
この城は目まぐるしく城主が入れ替わっている。
天正18年(1590年)岡本宗憲が二万二千石で入城すると近世城郭として大修築し天守も建てられた。
宗憲は関ヶ原合戦で西軍に属したため改易となり武蔵国瓶尻から三宅康貞が城主となる。
慶長9年(1604年)美濃国多良から五万石で関一政が再び城主となるが慶長15年(1610年)伯耆国黒坂に移封となる。
替わって松平忠明が三河国作手から五万石で入封するが元和元年(1615年)摂津国大坂城に移封となる。
元和5年(1620年)三河国挙母から三宅康信が一万石で入封するがこの時、幕府から丹波亀山城の天守を破却するように命ぜられた堀尾吉晴が間違えて伊勢亀山城の天守を破却したと言われるが定かではない。一説では一万石の大名に不釣合いな天守を破壊させたとも言われる。
寛永13年(1636年)三河国西尾から本田俊次が五万石で入封しこのとき本丸北にあった三重櫓を天守代用とするなど城を改修した。
慶安4年(1651年)石川昌勝、寛文9年(1669年)板倉重常から三代、宝永7年(1710年)松平乗邑、享保2年(1717年)板倉重治、勝澄、延享元年(1744年)石川総慶が六万石入封し以後11代続いて明治に至る。
現在、建物はほとんどが破却されているが正保年間(1644年〜1648年)に天守台に移築された多門櫓が現存している。
- 城主
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関氏,岡本宗憲,三宅康貞,関一政,松平忠明,三宅康信,本田俊次,石川昌勝,板倉重常,板倉重冬,板倉重治,松平乗邑,板倉重治,板倉勝澄,石川氏
- 所在地
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三重県亀山市本丸町
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※距離はおおよその直線距離です。 海・川・山などの地形および交通手段は全く考慮していません。
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- 最終訪問日
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2005年10月
- 縄張図
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現地案内板より
- 建物
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| 多聞櫓(移築 多聞櫓)
天守台に移築
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