築城年代は定かではないが鎌倉時代に安田氏によって築かれたと云われる。
安田氏は伊豆国大見郷を発祥とする鎌倉御家人の大見家秀の末裔で、越後国白河庄の地頭職となり後に移り住んで安田氏を称したことに始まる。越後には安田城(柏崎市)を居城とした大江系の安田氏がいるが、別系統である。
永正4年(1507年)守護代の長尾為景は守護上杉房能を排除すべく、上杉定実を奉じて房能を攻め自害に追いやった。これに反発したのが本庄城主本庄時長、平林城主色部昌長、竹俣清綱であったが、安田長秀は長尾為景に味方した。
長秀の子安田有重は、天正6年(1578年)の御館の乱では上杉景勝を支持した。
慶長3年(1598年)上杉景勝の会津移封にともない安田氏も会津へ移った。
上杉氏の後、村上城主となった村上頼勝の重臣吉竹右近が在城したが、元和4年(1618年)村上氏が改易となり廃城となった。
寛永16年(1639年)村上城主堀直寄が没すると、その遺言により次男堀直時が北蒲原郡内に三万石を分知され安田藩となって陣屋が置かれた。正保元年(1644年)直時の子堀直吉の時に領地替えで村松へ移り村松藩となり、安田藩は消滅した。