築城年代は定かではないが中世に館があったと云われている。 正保元年(1644年)安田藩堀直吉は領地替えにより安田からこの村松に陣屋を移した。このとき上杉氏時代の古館を改修したと云われている。
嘉永3年(1850年)堀直央の時、三万石でありながら城主格となり、村松陣屋から城に大改修された。 直央は村松藩堀家中興の祖とされる人物で、文化11年(1814年)に一揆がおこるなど逼迫した藩財政を再建している。
慶応4年(1868年)戊辰戦争では、堀直賀は奥州列藩同盟に加盟し、新政府軍との戦いで城と城下町に火を放って米沢へ逃れた。
村松城は現在城跡公園として整備されている。 本丸は方形で東側中央に桝形虎口があり、南東隅部が東側に張り出していた。本丸の外側には本丸を取り囲むように帯曲輪が巡らされ、南側には南御殿があった。
現在は本丸部分が公園となっており、桝形虎口などは整地された土塁で明瞭になっており、ここに案内板が設置されている。
村松小学校の南側にある村松郷土資料館の南側に公園の駐車場がある。
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