永禄2年(1559年)に六郷弾正道行によって築かれたと云われる。
六郷氏は藤原南家二階堂行光の後裔と伝えられる。
戦国時代周囲には戸沢、小野寺、安東、武藤といった勢力の中、小さいながらも国人として独自の勢力を持ち、六郷衆と呼ばれる勢力を形成していた。
天正18年(1590年)豊臣秀吉に従って検地をうけ、四千五百十八石を安堵された。
慶長5年(1600年)関ヶ原合戦では徳川家康の命に従って山形城主最上義光の軍勢に加わった。関ヶ原合戦が終結すると上杉氏は最上領から引き上げ、孤立した小野寺氏に最上氏とともに攻め入った。
六郷正乗は慶長7年(1602年)関ヶ原合戦の功によって常陸国府中一万石で転封となると、出羽国秋田へ入部した佐竹氏の所領となり、佐竹義宣の父義重の隠居城となった。
慶長17年(1612年)佐竹義重は鷹狩りの最中落馬して死去したと伝えられ、その後廃城となった。