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出羽・西馬音内城
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西馬音内城の写真 写真館(42枚)
  形態  
山城(185m/90m)
  歴史  

建治3年(1277年)小野寺道直によって築かれたと云われる。 鎌倉時代初期に雄勝郡に入部した小野寺経道の二男道直が由利方面に対する備えとして西馬音内に配され、その後西馬音内氏を名乗った。

天正14年()最上氏に属した鮭延地方の奪還を目指した有屋峠の合戦では西馬音内茂道も参陣した。

文禄元年(1592年)西馬音内茂道の女を娶って婚姻関係であった由利十二頭の一人八森城主矢島満安が、同じく由利十二頭の一人山根館の仁賀保氏によって八森城を追われ、西馬音内へと逃れてきたが、このことが宗家との間にあらぬ疑いを招き西馬音内氏は満安を自刃させた。このような内紛の中、山形城主最上義光は雄勝郡へ侵攻し文禄4年(1595年)頃には西馬音内氏・柳田氏・松岡氏・深堀氏などが最上方に属した。

慶長3年(1598年)横手城主小野寺氏が湯沢城奪還を目指すと西馬音内氏は再び小野寺氏に属して立ちあがった。慶長5年(1600年)関ヶ原合戦では上杉氏に呼応して東軍となり、上杉氏が最上領から撤退した後は孤立し、最上氏が雄勝郡へ侵攻すると西馬音内氏は城を焼き払って庄内へ逃れ、横手城主小野寺氏は改易となって石見国へ流罪となった。

  説明  

城は西馬音内川の南岸にある標高185mの山頂に築かれている。城は山頂から西馬音内川に沿って北東に伸びた尾根に築かれており、その先端にある元西小学校付近に大手門があったとされ、石碑が建っている。

主郭は西の山頂と見られ広大な削平地の中に井戸跡が残る。空堀を隔てて東側にも曲輪郡があるが、主郭へ到達する道以外はシダ植物が辺り一面生い茂っており歩き回るのは苦痛である。

  城主  
西馬音内小野寺氏
  案内  

元西小学校の所に案内板と大手門跡の石碑が建っている。大手側の登山道はこの小学校の校庭脇にある。

 所在地 
秋田県雄勝郡羽後町西馬音内堀回字浦田山
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※距離はおおよその直線距離です。
海・川・山などの地形および交通手段は全く考慮していません。



最終訪問日
2009年9月

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