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写真館(73枚)
- 史跡指定
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市指定史跡
- 別名
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中間城
- 形態
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山城(380m/230m)
- 歴史
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築城年代は定かではない。
鎌倉時代に大江広元の子孫が地頭職を得て下向し、築城したとの伝承があるが定かではなく、天授5年・永和5年(1379年)友杉民部が築いたとする説が有力である。
戦国時代には中間氏が城主で宇都宮氏に属していたが、黒田孝高
が中津城に入封すると中間氏は黒田姓を与えられ城番を勤めた。
- 説明
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登山口から山に入ると直ぐに大石で築かれた石垣の屋敷跡のような所に出る。脇には水路に従って石段が残っている。
ここが屋敷跡かどうかは定かではないが、大手口であり案内板にも石垣と石段が遺構とされているので間違いないと思う。
この石垣跡を登りつめると最後の案内指標があるのだが、ここから先の道が明確ではなく、いろいろ踏み跡を探した結果、そのまま左手水路沿いに登り、左側に谷となった所を登って行く。
この谷を登りつめると、岩場が堀切のように凹んだ所にたどり着く。
ここには若干石塁があり付近には4つの穴があいた石が転がっていた。おそらく木戸のようなものがあったのではなかろうか?
この先は大岩を避けるようにぐるりと回り込んで歩いて行く。途中登ったり降りたりで踏み跡もとぎれとぎれとなっており、地形を良く観察しないとなかなか先へ進めない。
やっとの思いで登りつめると意外と平坦な地形がそこにある。
山上は北東側と南西側にわかれて間は緩やかな谷となっている。
南西側は削平地らしきものがあるくらいで、特に城郭遺構らしきものは見当たらないが、ここを抑えておかないとせっかくの急峻な地形が台無しである。
北東側が主郭であろう。南北に長い長方形(90m近くある)の曲輪があり、その南西側に帯曲輪が付いている。南側には列石のようなものも見え虎口のようでもあるが、その近くには釜のような跡があり虎口かどうかはわからないが、そこから南西側に竪堀が1条残っている。もしかするとこれが「鉄穴流し」と呼ばれるものかもしれない。
主郭の北側に少し降って高くなっている所があり、人工的に積まれたような大石があり、その西側には穴の中にぽつんと1つの大石が転がっている。
山上は大した遺構は無いが、麓の屋敷跡らしき石積は見る価値がある。
- 城主
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中間氏
- 案内
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トンネルの東側、一ツ戸集落の所に案内板がある。
登山口はトンネルの西側、神谷集落にあり、神谷川に沿って集落に入り「太神宮」の手前の右側の家の脇に登山口の案内が出ている。
- 所在地
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大分県中津市耶馬溪町大字宮園字一ツ戸
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付近の城址
7.7km 豊前・長岩城
7.9km 豊前・小友田城
9.0km 豊前・白米城
9.0km 豊前・雁股城
※距離はおおよその直線距離です。 海・川・山などの地形および交通手段は全く考慮していません。
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- 最終訪問日
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2007年12月
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