築城年代は定かではない。元暦元年(1184年)に多治部太郎元春によって築かれたとも云われる。
国人領主多治部氏累代の居城で、戦国時代には多治部景治が尼子氏や毛利氏などに属し、三村氏の楪城攻略にも加わった。
塩城山城は岩山駅の西に聳える標高593mの塩城山に築かれている。現在山頂にはお堂があり登山道がある。
塩城山城は山頂部と東山腹、そして南山腹にも若干の遺構らしき地形を確認することができる。
山頂の主郭はお堂が建って若干改変されているようである。南下に腰曲輪ii、北と西にも腰曲輪を備える。この腰曲輪iiの南面に高さ2m程の石垣が残されており、これが最大の見所である。石垣はこの部分のみで、西の腰曲輪側面に若干石積が確認できる程度である。
東の標高470m付近にやや広い曲輪があり一部石積がある。その下方に小さな段曲輪がある。ここから北へ少し降だり、道を逸れた場所に溜め井がある。
主郭から南へ降りる道が大手道と伝えられているようであるが、こちら側は標高540m付近に若干の削平段がある程度である。
登山道は二ヶ所ある。一つは小倉施術院の近くで(地図)「塩山城跡」の標柱がある。ここからの道は山の北東側へ回り込んで登っていくルートとなる。道は比較的歩きやすいが分岐点が多く道標も何もないのが難点。
もう一つは県道沿いに「潮城跡 大手口」の石碑が建っている所で(地図)、こちらの道はほぼ直登となり、あまり明瞭では部分がある。
最寄り駅(直線距離)