清滝城は八本松町飯田と志和町志和東との境に聳える標高597.8mの深堂山山頂に築かれている。山頂の主郭から西に向かって伸びる尾根に曲輪を配している。
主郭は山頂にあって三角点のある中央やや北側が一段高く、東に一段下がった段があり、南北両側から通路になっているが、虎口かどうかははっきりしない。西端は低土塁が南北に付いている。主郭の東下には帯曲輪が巡っており、二条の竪堀によって帯曲輪は三区画ほどに区画している。
主郭の西下は浅い空堀があり、小郭を挟んで更に土橋の架かる堀切があり、西の曲輪群へと繋がる。空堀で区画された小郭は中央に土塁が付いている。
西の曲輪群は東西に長く低い段差で西に段々と連なる。その南西側には帯曲輪が雛壇状に付いている。ここから南へ伸びた尾根は浅く広い堀切、西尾根の先端は土塁が付いてその下に堀切がある。
「広島県中世城館遺跡総合調査報告書」に掲載されている縄張図では、上記までを城域として描いているが、ここから更に西へ進んだ所に一条の堀切がある。その間の尾根は比較的平坦な地形もあるが、自然地形に近いもので曲輪とは言い難いが、この堀切によって切り出された先端部は、削平されて小段も付いている。この部分まで含めると東西の規模は300m程になる。
今回の登山口から少し入った所には「清滝」があり、中世には清滝寺という寺院があったという。