築城年代は定かではないが大内氏によって築かれたと云われる。
大永3年(1523年)鏡山城が尼子経久によって落とされると、大内氏は西条盆地の拠点を槌山城へ移し重臣弘中隆兼を置いた。
その後、槌山城には菅田宣真が城主となっていたが、天文20年(1551年)陶晴賢が大内義隆を討ち大友家より義長を迎えると、これに従わない菅田氏を討つように陶晴賢は毛利元就に命じる。元就は自身は病気と称して戦には赴かず、毛利隆元を総大将として派遣し、まず平賀隆保の籠る頭崎城を攻め落として槌山城へと攻め寄せた。
槌山城には菅田宣真・宣種父子他、尾和備後守秀義、大林和泉守隆廉、財満入道宗因尾他、頭崎城主平賀隆保も三百余騎を従えて籠った。毛利勢は三方より攻め寄せたが堅城であった為、一旦これを退き城内より討って出た籠城兵をおびき寄せ、これを切り崩して一気に城内へ流れ込み本丸まで攻め寄せた。これによって城主菅田宣真等は城兵の助命を願い切腹して落城した。