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写真館(58枚)
- 史跡指定
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国指定史跡
- 別名
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鯉城,在間城,当麿城
- 形態
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平城(10m/10m)
- 歴史
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天正19年(1591年)に毛利輝元によって築かれた。
毛利氏の居城吉田郡山城は山間部にあり城下町を形成するには不都合であった為、太田川河口部のデルタ地帯に新たに築城することを決め、築城に際しては羽柴秀吉の築いた聚楽第を参考にしたと言われる。
太田川のデルタ地帯に築城するためまずは堤を築き土地を固める作業が必要であったため天正19年(1591年)に輝元が入城できるほどまでに至ったが完成したのは慶長4年(1599年)であった。
関ヶ原合戦で西軍の総大将として破れた輝元は防長2ヶ国に減封され萩城へと移った。
その後、福島正則が入封となるが元和5年(1619年)洪水で破損した石垣の無断改修を問われ改易され、その後、捨て扶持が与えられ福島正則館に隠棲した。
代わって浅野長晟が入封し以後明治に至る。
- 説明
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城は本丸に五重五階の天守に小天守2基を付随させたのをはじめ櫓99基を備える大城郭であった。
戦前まで天守は残っていたが原子爆弾により倒壊した。
- 城主
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毛利輝元,福島正則,浅野長晟,浅野光晟,浅野綱晟,浅野綱長,浅野吉長,浅野宗恒,浅野重晟,浅野斉賢,浅野斉粛,浅野慶熾,浅野長訓,浅野長勲
- 所在地
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広島県広島市中区基町21-1
- 周辺施設
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- 最終訪問日
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2005年11月
- 建物
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| 天守(復元 天守)
所在地:
城内本丸 五階五重 望楼型
慶長3年(1598年)頃建立
昭和20年(1945年)原爆の爆風で倒壊
昭和32年(1957年)大天守のみ鉄筋コンクリートで外観復元
大天守の東と南に小天守を従えていた
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| 平櫓(復元 櫓)
所在地:
城内二の丸 平櫓
平成6年(1994年)木造で復元
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| 太鼓櫓(復元 櫓)
所在地:
城内二の丸 二重二階
平成6年(1994年)木造で復元
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| 表御門(復元 櫓門)
所在地:
城内二の丸 平成6年(1994年)木造で復元
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| 御門橋(復元 橋)
所在地:
城内二の丸 平成6年(1994年)復元
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