上田朝直の墓うえだともなおのはか
△トップに戻る
上田朝直は松山城主で扇谷上杉家、後に小田原北条氏に従っていた。天正10年(1582年)10月3日に没している。
上田朝直の墓は浄蓮寺境内にあり、県指定史跡となっている。ここには上田朝直とともに、上田政広(朝直の父とも)、上田長則(朝直の子)の墓があり、上田憲定によって建立されたものと考えられている。