築城年代は定かではないが発掘調査から南北朝時代から戦国時代の山城とされている。
永正13年(1516年)若狭の武田元信の軍勢が吉沢城まで侵攻してきたことが、白井家文書の武田元信感状から知られる。
『丹後国御檀家帳』には伊賀清次郎を吉沢の里の一城主也とする。また地誌や軍記物では松田遠江守、後藤下総守が城主として伝えられている。
吉沢城は北へ伸びた尾根の頂部に築かれており、現在主郭は早尾神社の境内となっている。
主郭は早尾神社の境内で改変されているが、南側に土塁があり、北も一部土塁状の土盛りが確認できる。
主郭の南に深い空堀があり、その南側に二郭がある。ここも神社が祀られているが、南端に高土塁が残る。
今の参道は西から直線的に階段で主郭まで通じているが、主郭と二郭の間の空堀から入る道が残っている。
主郭と二郭の切岸は高く群郭式の城を見ているような様相であるが、その周りにも平坦面が拡がっている。
西側に参道があるが入口周辺に駐車スペースはない。
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