築城年代は定かではない。城主は矢野氏で矢野備後守、矢野満俊(藤平)の名が伝えられる。
矢野藤平(あるいは藤市)のとき、細川藤孝によって攻められ降伏し帰農したという。また一説に細川氏に出仕し坂井氏、さらに上羽氏を称したともいわれる。
溝尻城は標高205.3mの法起山山頂に築かれている。南北500m程の大きな山城で曲輪も大きく切岸もしっかりしている。法起山は矢野備後守が河内国金剛山金輪寺から法起菩薩を分祀し法起菩薩堂として祀られていることから付いた名のようである。
主郭は山頂にあり南北に長く北端部に法起菩薩堂が祀られている。主郭北端部は一段小高く大きな櫓台状の曲輪で低土塁が付いている。そこから北西に伸びる尾根には妙見堂があり、北端から北西、北尾根に大きな堀切、さらに西に降って曲輪が伸びている。
主郭北端から北東へ伸びる尾根を降ると堀切、曲輪があり、先端から北へ伸びる尾根には広い曲輪が北へ続き、北端はやや小高くなり急峻な切岸になっている。
主郭南端から南東へ伸びる尾根に一条の堀切があり、その先を降ると堂奥城から樹徳寺へ続く。一方南西尾根は堀切から段々の曲輪が続き、尾根道を降ると溝尻支城を経て貴布祢神社に至る。
登山道は二つあり、南麓の樹徳寺脇から堂奥城を経て登るルート、南西麓の貴布祢神社から溝尻支城を経て登るルートがある。 いずれも駐車場がないが、貴布祢神社側のほうが駐めるスペースがありそう。
最寄り駅(直線距離)