島末城は平安時代に一の谷の戦いに敗れた平家の平知盛が屋代島の島末庄に城を構えたと『吾妻鏡』に記されている。この島末城に該当する城とされるが確証はない。
一般的には藤田城とされ、『防長地下上申』には「一 古城山壱ヶ所 但事無シか城と申したるよし 右往古宇野筑後殿と申城主御座候由申伝候事、此山麓より嶺迄三町程登り可申候、尤峰ニ要害之古跡御座候、広サ凡弐畝程可有御座候事」とあり、宇野筑後が城主であったと記されている。
島末城は道の駅「サザンセトとうわ」の南西に聳える標高143.2mの山に築かれており、現在は登山道が整備されている。
小規模な城で山頂部を東西二段に削平して主郭としている。東尾根は北側が竪堀になって堀切であったと思われる。南西に続く尾根には緩斜面になっている部分もあるが、基本自然地形のようである。
東登山口のところに案内板が設置されている。その脇に空き地があるが駐車禁止のようなので、車は別の所に駐めてくる必要がある。