詳細不明。かつて古代山城説、中世山城説などが唱えられてきたが、現状では中世山城として取り上げられている。
皇踏山城は小豆島の西端に近い標高393.7mの皇踏山に築かれており、現在は遊歩道が整備されている。
皇踏山城は城郭遺構として謎が多く、いわゆる曲輪と呼ぶべき部分がハッキリしない。山上は比較的なだらかな地形になっており、高低差はそれほどないが石などがゴロゴロしている。案内板には「一の曲輪」、「二の曲輪」、「水の手曲輪」、「北の曲輪」、「詰の曲輪」を表記しているが、大半は推測しているだけで、地形を見てもただの山である。
皇踏山城の中で人工的なものは東西の尾根筋に設けられた総延長1.5kmに及ぶ石塁、水の手曲輪を取り囲むように方形の石塁、虎口とされる土塁と空堀である。
尾根筋の石塁は案内板に獅子垣と書かれており、方形の石塁もこれに繋がり構造も似ていることから獅子垣の一部であろうか。虎口とされる土塁と空堀は藪が多くハッキリしない部分もあるが、外側が土塁で内側が空堀という構造である。
登山道は滝宮地区にあり、八坂神社の先に皇踏山登山道入口の看板が出ており、そこから少し登った所に駐車場がある。(地図)