築城年代は定かではないが羽茂本間氏によって築かれたと云われる。
羽茂本間氏は惣領雑太本間氏の庶流とされ、対馬守の官途を名乗る当主が多かった。
大永4年(1524年)から同7年にかけて羽茂本間氏は吉井藍原氏と結んで、惣領雑太本間氏や久知本間氏と戦っている。
天正年間(1573年~1592年)になると羽茂本間氏は河原田氏と長い間争うようになり、越後の上杉景勝はたびたび仲裁していた。上杉景勝が豊臣秀吉に臣従すると、景勝は秀吉の許可を受けて佐渡平定に乗り出し、天正17年(1589年)上杉の大軍が佐渡に上陸、羽茂城は同年6月16日に攻められ落城した。
羽茂城は羽茂川沿いに拡がる平野部の東にある丘陵に築かれている。現在は県指定史跡として整備され遊歩道が設置されている。
丘陵上に殿屋敷などの平場が拡がり、五社ノ城など一部は小高く築かれた曲輪になっている。遊歩道を歩いていると殿屋敷、五社ノ城、溜池、三ノ城、城坂、大手門、不開門などを経由して一周できる。城としての構造は良くわからないというのが正直なところ。
車の場合、東の車道沿いにある案内板のところから入るのがわかりやすい。西麓からだと「十王堂の仏像」の看板の隣の道が城坂の入口