築城年代は定かではないが三雲氏によって築かれた。 一説に長享2年(1487年)三雲典膳が六角高頼の命で築いたとも云われる。 三雲氏は甲賀五十三家の一つで六角氏に従っていた。
六角氏は観音寺城を居城としていたが、攻め込まれると観音寺城から逃れてこの三雲城に入り、山深い甲賀地方でゲリラ戦を展開していたようである。このように天文6年(1537年)には六角承禎(義賢)、永禄11年(1568年)には六角義賢・義治がこの三雲城に逃れてきている。
元亀元年(1570年)織田信長の武将佐久間信盛によって攻められ降伏開城した。三雲氏はその後、蒲生氏や徳川氏に仕え江戸時代は旗本として存続した。
三雲城は「八丈岩」と呼ばれる巨大な岩の背後に聳える標高334mの山に築かれている。 現在は遊歩道が整備されている。
三雲城の主郭は山頂にありそれほど大きな曲輪ではないが、周辺に一部石積がある。南背後は堀切でさらに一つの曲輪がある。北下に城内で最も広い曲輪があり、西側に土塁を設けている。この曲輪の虎口が北東にあり、巨石を用いた石垣造りの枡形で、この城最大の見所である。この虎口一帯に矢穴のある巨大石垣が残されている。
山の地質が脆いこともあり、はっきりとしないが、曲輪の側面には竪堀のようなものがいくつか見て取れる。また背後からの下山路途中には竪土塁のような地形もある。
吉永にある西往寺を目指し、その奥の住宅地へ入っていくと三雲城への道標が出ている。ここからさらに奥の青少年自然の家に向かって行くと途中から林道へ入ることとなる。車の場合、そのまま林道を登っていけば登山道入口があり、その近くに駐車できる。
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