詳細不明。城主は山内左馬助頼通(福地左馬助とも)で山内氏の支城の一つであった。
釣ノ尾城は現在の北上川に面した標高76mの山に築かれている。もともとは追波川が流れていたが、明治以降北上川の付替工事が行われ、現在の流路になっているようである。
釣ノ尾城は北西の曲輪群と南東の曲輪群があり、間は堀切で遮断されている。高さはほぼ同じだが、北西曲輪が主郭だろうか。
北西の曲輪群は山頂部が広く削平されているが、畑として開墾されていた。周囲には多段に帯曲輪が巡らされており、平地は多い。
南東の曲輪群は山頂に小さな土壇があり、こちらも帯曲輪が多段に設けられている。西麓にある八幡神社はもともとここに祀られていたようである。
南へ続く尾根を降った所に二条の堀切がある。
西麓の八幡神社のところに標柱がある。登口はそこから県道を東にいったところにある小屋の近くから山上に登る道がある。また、祥雲寺の墓地から南の尾根上に登るルートがあり、そこから登ることもできる。