築城年代は定かではないが永正年間(1504年〜1521年)に富岡大和守隆時(岩城九郎)によって築かれたと云われる。 隆時は岩城常時の五男という。
天文3年(1534年)相馬顕胤に攻められ落城、その後35年間相馬氏の支配を受けたが岩城氏が奪還したという。
日向館は富岡川と根小屋川の間にある東西に細長く伸びた丘陵に築かれている。
日向館は東西に長く伸びた丘陵を空堀で区画した三郭で構成されているようであるが、東西700m程あり、時間の余裕もないので東端の曲輪しか見ていない。
東端の曲輪は三角形に近い台地で南西端が一段高くなっている。西へ続く台地は二重堀切によって遮断され、そこから北東方向に堀が伸び、それに沿って帯曲輪状の細長い曲輪が続いている。
台地の東端南麓にある光西寺の脇から山にあがる道がある。
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