築城年代は定かではないが大槌氏によって築かれたと云われる。
大槌氏は建武年間(1334年~1338年)頃に横田城主阿曽沼朝綱が次男遠野次郎をこの地に派遣し、大槌氏と称したのが始まりとされる。
永享9年(1437年)大槌孫三郎のとき南部守行率いる大軍が攻め寄せてきたが、これを撃退した。
大槌氏は江戸時代には南部氏に仕えていたが、大槌政貞のとき罪があって自刃させられ滅亡したという。
大槌城は大槌氏滅亡後も城代が置かれていたが、元和2年(1616年)に廃城となり、麓に代官所が設けられた。
大槌城は大槌湾に注ぐ大槌川と小槌川の間に聳える標高140mの城山に築かれており、現在は公園として整備されている。
主郭部は山頂の主郭から東に向かって伸びる尾根に二郭、三郭、四郭と続くが堀切はない。主郭の南下は大きく鞍部となり、現在はここまで車道が付いている。
主郭の南西の峰が西の砦、そこから南東の先端部分が南の砦らしい。
城山公園体育館のところに案内板や石碑がある。ここから主郭下まで車道が付いているが、一般車両進入禁止という表記が見えたので、体育館の駐車場に停めて登った。
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