文亀2年(1502年)武田彦十郎忠直によって築かれたのが始まりとされ、小国氏を称した。
小国氏はこの地を三代に渡って治めてきたが、弘治年間(1555年~1558年)から天正年間(1573年~1592年)にかけて江繁氏との争いがあり、それに敗れて滅亡したという。
大梵天館は湯沢川と土沢川の間を北へ伸びた尾根上に築かれており、現在は「大梵天館の森」として整備されている。
主郭は標高390mのところで南北に長く北尾根先端側に堀切1と2、南背後に堀切3を設けている。東側は急坂となっており比較的緩やかな西側に数段の帯曲輪を配している。
堀切3から南側が二郭とされるが、途中わずかに削平された地形があるがほぼ自然の緩斜面である。この南端に土塁を伴う堀切4があり、西山腹に竪堀が長く続いてる。
登山口は西麓にある案内板が設置されているのでわかりやすい。車は里の駅おぐに(旧小国小学校)が利用できる。