築城年代は定かではない。城主は小菅氏と伝えられる。
小菅氏は藤原姓で、文明10年(1478年)小菅遠江守信景とその子信久が、小菅総社に箭弓神社宝殿造宮の棟札を奉納したことから知られる。
また、天正10年(1582年)織田氏の甲斐侵攻により武田勝頼が滅亡する直前に討死した小菅遠江守が居る。
小菅砦は小菅村役場の北西背後の山に築かれており、現在は主郭に天神社が祀られ登山道が整備されている。
南へ伸びた丘陵の南端に主郭Iがある。主郭は北側を高土塁として削り越しておりその上に幅1mほどの土壇がある。主郭の周囲は高い切岸で遊歩道のように整備されているため判然としないが東側に竪堀1、参道階段脇にも竪堀状の崩れがある。南中腹には「虎口」と記された小空間があるが、神社参道にともなうものだろう。
主郭から北へ伸びた尾根には堀切を挟んで尾根II、IIIがあるが、どちらも曲輪としては狭い。北端は高切岸で、東側のみ竪堀状の溝となっているが明確な堀ではない。
小菅村役場の西隣に保育園があり、その隣に駐車場と登口、案内板が設置されている。遊歩道はそのまま箭弓神社に続いており、こちらからも登ることができる。