伊予 天ヶ森城いよ てんがもりじょう

城郭放浪記


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伊予 天ヶ森城の写真
掲載写真数
形態
山城(334m/330m)
別 名
なし
文化財指定
なし/不明
遺 構
土塁,郭,堀
城 主
津島殿越智氏,清家氏
歴 史

築城年代は定かではないが越智氏によって築かれた。津島殿越智氏ははじめ釈迦乃森城を居城としていたが、戦国時代に天ヶ森城を築いて居城としたと云われる。

天ヶ森城は津島殿越智氏の越前守通孝、安芸守通繁、弥三郎通顕三代の居城と云われる。

天正3年(1575年)長宗我部元親によって土佐の中村を追放された一条兼定が幡多郡を取り戻すために挙兵したさい、越智通繁もこれに加わったが、渡川合戦で敗れた。天正8年(1580年)長宗我部軍によって攻められて落城、通繁は自刃したという。津島越智通顕は西園寺十五将の一人に数えられる。

説 明

天ヶ森城は岩松川河口に聳える標高334mの天が森山頂に築かれている。天ヶ森城は山頂から北尾根の先端にある無線塔までの城と南尾根先端にある出丸からなる。

主郭は山頂にあり広く削平され東側に土塁が残る。南尾根は岩盤の大堀切で西側面にはもう一条竪堀が城内側に付いている。この堀切を越えると南出丸までは自然地形が続いている。

主郭から北へ進むと鞍部の段曲輪を経て北曲輪に至る。この部分は主郭よりも大きな神社が祀られていたようで、その基壇が残る。東には土塁が付き石塁が円形に設けられているが、石塁は城の遺構ではなく後世のもののように思える。南側には広い曲輪があり、ここも東側に土塁を設けている。北西下には堀切と竪堀をコの字にした堀があり、これは北端の曲輪の北西下にも同様の堀がある。

主郭と北曲輪の間の鞍部を西へ下る尾根にも広い削平地が二ヶ所ある。上の段は西端が切岸になるが下の段は切岸とはならず甘く、西に向かって小さな段遺構が続いている。かなり山の上まで畑遺構が残されているが、この二段の削平地は本来曲輪であったと思われる。

南出丸は主郭から約350m程南に離れた尾根先にあり、この間は自然地形である。尾根先に広い削平地があるが、主郭側は切岸を設けていない。南西尾根下に堀切があり北へ竪堀が長く伸び、それに並行して城内側にもう一条竪堀が北斜面に落ちている。

案 内

登山道はいくつかあるようだが、西麓の岩松から登る道が整備されている。愛媛銀行の前から東の谷間に入っていく車道があり、その先の民家の間の細い道を進むと「天が森登山口」の道標がある。

銀行の近くに土日祝無料の駐車場がある。

所在地/地図
愛媛県宇和島市津島町岩松(天が森)
GPSトラックデータダウンロード :[KML形式 ][GPX形式 ]
付近の城(直線距離)
1.5km 伊予 石丸城
2.0km 伊予 金剛城
2.3km 伊予 下谷の城
3.3km 伊予 高森城(津島町)
7.5km 伊予 安信城
最終訪問日
2018年4月
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