明治元年(1868年)池田徳定によって築かれた。 池田徳定は第十代鳥取西館新田藩主である。
鳥取西館新田藩は天和3年(1683年)池田光仲の五男池田清定が新田一万五千石を分与されたことに始まる。俸禄は蔵米で支給されたため、居所は鳥取城下に置かれ陣屋は築いていなかった。西館の名は同じく支藩の東館(鹿野藩)の西側にあったためである。
享保元年(1716年)には五千石を加増され二万石となった。
明治元年(1868年)池田徳定が陣屋を構え若桜藩となったが、明治3年(1870年)に鳥取藩と合併し廃藩となった。