詳細不明。
「宮崎県中近世城館跡緊急分布調査報告書」によれば、「城域内に古道が南北に通り、交通を監視する関所的な城郭と考えられている。」とある。
城は五十鈴川の西岸にある標高100mの山に築かれており、国土地理院の地図で標高100mの所を最高所として北西から南東を主軸にして曲輪が連なっている。
北西端は階段状に並んだ三重堀切があり、標高100mの最高所の東下には植林された大きな段が二段ある。最高所から南西に伸びた尾根にも浅いが三条の堀切がある。 南東方向へ向かうとこれも東斜面に曲輪が数段並び、一条の竪堀がある。南は谷へと降りて行く道があり、そこに数条の畝状竪堀群があるが、崩落によるものか1,2m程しかない。南の谷は五十鈴川から長谷の谷の奥にある池のほうに伸びていると思われるが、五十鈴川に面した谷の入口の北側にも城郭遺構が残っている。
分蔵大橋から土手沿いに南下して五十鈴川沿いの道を南下、南の谷からよじ登ったのだが、北端付近に建つ鉄塔に登る方がわかりやすそうである。
最寄り駅(直線距離)