築城年代は定かではないが永和年間(1375年〜1379年)に大串小次郎俊長によって築かれたと云われる。
戦国時代の大串正俊は大村純忠に叛いて後藤貴明に従い、永禄9年(1566年)江串浦で討死した。その後、大村純忠は家臣の福田左京亮に命じて神浦城を破却させたと云われている。
大串正俊の子正信はその後大村純忠に従い天正8年(1580年)大村純忠の家臣長崎純景が深堀純賢の攻撃を受けたとき、長崎氏を援けた。
神浦城は神浦川河口の北側にあり、南へ伸びた尾根に築かれていた。現在は神浦城公園となっているが、遺構はほぼ消滅しているようである。
神浦城は公園整備するにあたって発掘調査が成され、北背後の道路側に堀切、柱穴や石組み、炉跡などが検出されたようである。しかし肝心の堀切は破壊されたのか埋められたのか説明板が設置してある程度で、石垣が残っているハズなのだが、下の段に降りることができず、これも残っているのかなくなってしまったのかよく分からない。せっかく城跡公園として整備するのであれば、堀切や切岸などの地形を生かして欲しいものである。
国道から久本寺方面に登って行けば城跡公園があり駐車場もある。