詳細不明。倭寇の拠点とする説や江戸時代の密貿易に関する施設など諸説ある。勘次ヶ城の名前は江戸時代の大工「勘次」に由来するもののようである。
勘次ヶ城は福江島の南端付近にあり、海に面したところに石塁で囲まれた3つの区画が並んでいる。整備されているのは中央のみであるが、その両脇にも石塁で囲まれた区画が存在しており、模型はその様子を示しているようである。城と名前がついているが、城であった可能性は考えにくく、倉庫などの施設跡とするのが妥当だろうか。
付近に道標がでており、駐車場やトイレも完備している。