築城年代は定かではないが貞応年間(1222年〜1224年)頃に阿蘇惟次によって築かれたと云われる。 阿蘇氏の浜の館の詰城として築かれたものである。
天文21年(1552年)に岩尾城で火事があったことが「八代日記」に記されているという。
城は観光地として有名な「通潤橋」に向かって左手の北の山に築かれている。 城は東側を除く三方が五老ヶ滝川によって守られ川を挟んで北側には浜の館がある。
標高483mの所が本丸で東に三の丸と出丸、南の尾根に二の丸を配している。 本丸と二の丸の間には現在通路となった切り通しがあり堀切跡とも思える。
道の駅通潤橋から遊歩道が設けられている。