築城年代は定かではないが応永年間(1394年〜1428年)に三木正頼によって築かれた。 三木氏は応永18年(1411年)姉小路尹綱の乱を鎮圧した功によって、京極高員(高数)が足利幕府より飛騨国竹原郷を得ると、三木正頼が京極氏の代官として竹原郷に入部したことにはじまる。
三木氏は二代三木久頼の代に竹原郷を横領し、その後も勢力を拡大して三木自綱の時代には松倉城と桜洞城をそれぞれ夏と冬の居城として飛騨に君臨した。
宮地城は三木氏が居城を移した後も一族が城主をつとめ、天正年間(1573年〜1592年)頃には三木良頼の弟三木頼一が城主であった。
城は竹原川の北岸にある山塊の尾根の頂部に築かれている。 主郭には現在御嶽神社が奉られ、堀切の遺構が残っている。
竹原小学校の北の道を東へ進むと、左側の山裾に赤い鳥居が並んでいるのが見える。これが宮地稲荷神社でここから尾根伝いに東側に山道がある。[宮地稲荷神社の地図]
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